初めまして、大学二年の教授と申します。現在私は、どん底にいます。大学生でしかできないようなことを、次々と逃しています。バイトも週一の歩合制です。単位もすでに、落とすことが確定したものが複数あります。そして、仮にお金があったとしても、鉄道旅行か疑似恋愛(他記事参照)に費やしてしまうでしょう。そう、高校時代に、「自分」を持ってこなかったツケを、今必死で返済しています。しかし、こうしたどん底の状況に限って、高校時代に必死で考え、曲がりなりにも結論を導いてきた「人生の意味」を忘れて、「自分は生きる意味が無い」の負のスパイラルに陥ってしまいます。この記事を書く前に少し、「人生の意味」について、昔と比べて変わっていないかとふと考えてみたのですが、結果的に負の思考を落ち着かせることができたので、その手順を振り返ってみます。
手順1: 「こんな自分」にだって生きる意味がある
今の世の中、一部の人にしか有利でないと思われる結婚ですが、建前上は、結婚する権利が我々には与えられています。そして、今でこそ多様な選択肢が与えられていますが、少し前までは、結婚して子どもを授かるというのが当たり前でした(生存バイアスかもしれませんが)。その大きな理由は、「自分が消えてからも残る」からであるということが言えます。群れで生きていたような時代だって、子どもを残さないと、群れそのものが消えてしまいます。現代社会だって、核戦争で世界(人間社会)そのものが崩壊しないように暗黙のルールが定められています。もっとも、哺乳類以前は、「自分と自分にまつわる何かを消えないように維持しておきたい」という漠然とした本能だったと思いますが、人間レベルになると、「自分は消える」のを前提に、「自分が消えても何かが残るようにしたい」という意思として表れてきますね。つまり、人間たるもの、「何か」を残せばいいのです。他の人間と比べる余地などありません。
手順2: とは言え、結婚は不確定要素
結婚して子孫を残すのが当たり前だった時代、とは言っても、子孫を残すまでに至らなかった場合も、目に見えないだけで多かったと思います。しかし、今の日本社会では幸いにも(?)、子孫を残す以外にも、「何か」を残す手段は様々です。一回、独身で生きる場合の人生設計をしてみましょう。既婚者であっても、「仮に」離婚したらどうするかを考えてみてもいいかもしれません。そうすると、老後に独りになること以外は気楽だということに気づくと思います。老後に不安があるなら、独身ゆえの身軽さを活かした資産形成や金稼ぎにより、老人ホームへの入居という選択肢を増やすことができます。そして、一生独身でいく、と一度は決意したものの、結婚する人も当然います。しかし、100%ということはないので、一度、「一生独身」を想像してみると気が楽になるかと思います。
手順3: 日常の中に選択肢はある
そして、人生設計をしていくうちに、どん底から這い上がる方法を見つけ出すとともに、どん底のときには真っ暗だった周りの世界、日常が、少しずつではありますが、輝き始めたように見えると思います。「何か」を残すための答えはその些細な日常の中に潜んでいるかもしれません。私の場合は、プログラミングを勉強して、そのスキルを活かせる会社に就職することをひとまずの目標としました。親が建築関係で、高校時代に「自分」を持たずに適当に建築学科に入った結果、研究室に入って大学院に行くこともなく、建築以外を活かして就職するなんて、とんだ親不孝ですね(笑)
まとめ: 「人生の意味」はあること前提
どん底の時期には、ひたすら人生の意味を考えているようで、実際は「自分の人生に意味なし」と思考停止せざるを得ない状況にまで追い込まれているに過ぎません。もし「人生の意味を考える」とはどのようなことかが分からないのであれば、私が実行した、上の3つの手順を参考にしてみてください。
私の高校時代の人生設計においては、「設計ミス」だらけでした。こうした人生設計における「設計ミス」が起こる原因を5つに大きく分けてまとめています。人生設計をする際には、反面教師としてぜひ参考にしていただければと思います。ぜひこちらの記事も読んでみてください。