世の中は、生存バイアスというものであふれています。仮にある挑戦に対して、勝者と敗者が存在するのだとすれば、勝者の経験がより目立ち、敗者の経験は埋もれてしまう、というものです。しかし、本来は勝者の経験よりも、敗者の経験に注目した方がためになります。プロ野球の野村監督は、江戸時代の大名、松浦静山の名言を引用して、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言いました。勝つ人に共通点は見いだせないけれども、負ける人に共通点はいくらでも見いだせるということです。しかし、当たり前の理由で敗者となった人を取り上げるよりも、思いもよらぬ理由で勝者となった人を取り上げる方が、コンテンツ的に面白いですよね。その結果、勝者の経験だけが語り継がれていくことになってしまいます。
勝者が次の勝者を生む
そして、勝者の経験に感化された人が、同様に挑戦していきます。その中には、確率的にではありますが、再び勝者も登場します。挑戦者が多くなれば多くなるほど、勝者の絶対数は増えるため、勝者の経験は増幅されていきます。勝者となる確率自体はそうそう変わるものでもないのに、勝者の数が増えただけで、いかにもその確率が増加したかのように思えてきてしまうのです。いや、もしかすると、挑戦者全体に対する、勝者となる特性をもつ人たちの割合が増加することによって、勝者となる確率は上がっていくかもしれません。しかし、その特性の無い人が、いくら勝者の真似をしたところで、勝者にはなれないでしょう。
生存バイアスと無縁の人生とは、勝者になり続ける人生
こうした生存バイアスから逃れるためには、勝者になるしかありません。勝者となった人は、その勝利に何らかの理由付けをするため、生存バイアスを増長する後押しはすれど、仮に自らが失敗していた場合に知ることとなった生存バイアスの存在に気付くことがありません。敗者は生存バイアスを知りますが、その存在に気付いてしまった以上、これ以降何かに挑戦するということに躊躇いが出てしまいます。生存バイアスを知らずに生きていた人というのは、実は勝者になり続けた人ということで、それは一握りに過ぎません。
生存バイアスに気がついた人は勝者に返り咲ける
しかし、敗者が生存バイアスに気づくかというと、必ずしもそうとは限りません。自らが失敗したのは、この人(勝者)のようにしなかったからであると考えてしまうこともあります。「私が成功した理由をお教えします」と謳った勧誘に引っかかってしまうかもしれません。生存バイアスの存在に一生気づかない勝者もいれば、生存バイアスの罠に一生かかり続ける敗者もいます。要するに、勝者にも敗者にも悪気はないのですが、どうしても集団の特徴として、生存バイアスが増幅されやすい、というものがあるので、敗者はそこに気づいていかないといけません。そして、気づくことのできた敗者は、なぜ失敗したか、というのは自分自身が一番わかっていると思うので、それを参考にしていくことで、失敗の確率を減らしていくことに繋がります。おそらくそれは、勝者の経験を参考にするよりも顕著な変化となるでしょう。
まとめ
生存バイアスから逃れる方法は、勝者と敗者で異なるということが一般的に言えるでしょう。今まで勝者だった人が、たった一つの失敗をきっかけに生存バイアスに陥り、敗者となってしまうこともあり得ます。生存バイアスに、勝者は「気づくな」、敗者は「気づけ」ということになりますね。