「一生独身」の覚悟【独身は社会に貢献できるか】

独身にはメリットが多い。自分で稼いだお金は自分のものだし、夜の街には繰り出し放題である。当然、そのデメリットを受け入れる覚悟も必要だ。老後の備えは人並みにしておかねば、孤独死にもつながる。また、いくら趣味にお金をつぎ込めるからといって、趣味も仕事も中途半端、というわけにはいかない。趣味だからこそ全力で取り組まないと、独身を選んだ意味がないと私は思っている。しかし、ここで一つためらいが生じる。

趣味は自己満足の世界、結婚して子どもを育てた方が社会貢献になるのでは?

このように、独身生活に罪悪感のようなものを持ってしまっては本末転倒だ。この記事では、この懸念を払拭するための私なりの解答を述べていきたい。

「マズローの欲求段階説」をご存知だろうか。下の階層から順に、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求の5段階に欲求は分かれており、ある欲求が満たされる頃には次の段階の欲求が芽生えてくるため、下から順に欲求は満たされていく、という仮説である。日本社会においては、多くの人(ここでは9割以上と述べておく)が生理的欲求と安全欲求をすでに満たしている。ここで特筆すべきは、「子孫を残したい」という欲求はこれらではなく、「社会的欲求」に含まれているということである。一方で、本能レベルでは生理的欲求または安全欲求に含まれるのだ。というのも、私たちは狩猟採集民族の生き残り(子孫)であり、自然淘汰を生き残る性質を持つ遺伝子を受け継いでいる。これは、「子孫を残すことで集団の人数自体を増やし、生き残りに有利な集団を作りたい」という意思をもつ、という性質である。そのため、本能レベルでは、「子孫を残したい」のが長い長い狩猟採集時代を経た、今を生きる私たち人間の共通認識なのだ。しかし、近代社会が成熟した現代日本(に限らず多くの国)では子孫を残す意味が、生理的欲求や安全欲求を満たすためではなく、社会的欲求を満たすためである、という段階になっているのだ。

このように、現代日本では、欲求の段階が底上げされて、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求といった上位三段階の欲求をめぐる1億2000万人の競争が発生していることがわかる。

そして、自己実現欲求と他の二段階の欲求を大きく分けるのが、主体的か否かである。そうすると、全ての人が自己実現欲求を満たせるような社会はあり得ないことがわかる。社会的欲求や承認欲求を満たそうとする段階にいる人たち(受動的な人たち)がこの社会を、縁の下の力持ち的に成り立たせているからだ。ここでは、主体的な人たちと受動的な人たちに優劣をつけていないことに気をつけてほしい。そして、自己実現欲求の段階にいる人たちは、半分もいないだろう。個人的には3割ほどだと考えている。

そして、このページを見ている人には、独身を選んでもなお、「社会的欲求」や「承認欲求」を満たすだけの人間になってほしくないと思っている。これらの欲求は、独身生活を送ろうという決意から生じる「自己実現欲求」を追い求めながらでも十分満たされるものだからである。いや、これは「一生独身」を覚悟した人には釈迦に説法かもしれない。本当は恋愛や結婚に対する欲求があったにもかかわらず、社会の不条理によって独身を選ばざるを得なかった人たちの方が、むしろそのリスクは高いだろう。いずれにせよ、「まずは社会的欲求が満たされないと」という考え方から脱却して、「自己実現欲求を満たしながらでもいける」という考え方にならないとね。そして幸運なことに現代社会は、こうして自己実現欲求を満たそうとしている人たちが(独身に限らず)3割もいてくれるおかげで経済が回っている。子孫を残すことだけが社会貢献ではないのだ。

タイトルとURLをコピーしました