平成の備忘録①―建築とアート、文脈の違い―

 この項目では、平成という時代を振り返り、未来に繋げる、というテーマを多少意識しつつも、何となく日々思うことを書いていきたいと思う。
 建築学科でも秋学期の授業が始まったが、いわゆる名物授業で、美術、都市景観などの様々な分野のエキスパートたちによる課題が課されており、毎週何らかの作品を作るという日々を送っている。さて、その授業の冒頭に、それぞれの先生の自己紹介があった。美術の先生の自己紹介は、やはりその人自身の作品がスライドで紹介されていたのだが、その紹介方法が、「このような仕事をいただいたが、自分の興味や意見に基づいて作った(作ってみた)ところ、このような作品が生まれた」というように、自己表現しようと意識しているわけでもなく、作品にその人の過去の経験などの蓄積によってその人の味が自然と加わっている、といったデザインの専門家ならではの一面が垣間見えたと感じる。
 一括りにしてしまうが、建築の専門家の自己紹介方法は、「このような仕事をいただいたが、それを含めた複合的な要素を自分なりに解釈したところ、私はこのような表現を生み出すことができた」というイメージであると言える。建築はよくも悪くも、自己表現が欠かせない。というのも、その土地ならではの良さだとか、魅力だとかを、自分なりの言語(表現方法)で、しかも施主が納得する形で伝えていくことが重要であるからだ。施主の中には、自分がほしい機能を持つ建築さえあればいい、周辺環境など興味ない、という人もいれば、周辺環境に魅力を感じて選んだという人もいる。前者の場合は、施主の漠然としたアイデアを自分なりに解釈する必要があるだろう。後者の場合も、施主への共感や施主との対話をもとに自分なりにそれらを形にしていくべきである。建築は常に、それを使う「誰か」を念頭に置いているからこそ、建築家や空間のデザイナーがその架け橋とならなければならないのだ。
 以上のことは、日本において、芸術として、創作物としての建築は、まだ発展途上であることを示している。いや、これには語弊があるかもしれない。日本においては、街単位では表現方法としての建築は完成しつつあるのだが、それらが体系化されて、蓄積されたデータとしてまとまっているかと言われれば、そうではないのだ。なぜこのような体系化が必要かというと、地方の多くは高齢社会であるからだ。このままでは、住民がその街や周辺の自然環境と、どのように関わってきたのか、という文脈が継承されなくなってしまう。また、伝統を重視しすぎても、機能の面で保守的になりすぎて時代の変化から取り残されてしまう可能性がある。しかし、それだからこそ地元の方々の声を聴くことがより重要なものになってくると思う。特に、地元の若者に、将来の街づくりについて興味を持ってもらうことは、短期的には、多少なりとも人口流出への歯止めとなり、長期的には、時代の流れに敏感な若者ならではの視点で、どのようにその街と関わっていくか、といった姿勢が継承されていくようになると思っている。

タイトルとURLをコピーしました