飛田新地、すすきの、吉原は大学生こそ行くべき

 タイトルにある場所の共通点は、おそらくこの記事を見ている方であれば当然ご存知であるかと思います。それを踏まえたうえで、大学生がこうした場所に行くことの是非について考えていこうと思います。

結論:「行きたい人は行け」

 先に言ってしまうと、行きたいなら行け、というのが結論です。大学生が行くとなると、せっかく恋愛が自由にできる期間なのに勿体無いだとか、モテない人が行く場所だとか、行ったからと言って卒業ではない、中退だ、とかいう意見も多いと思われ、ついつい躊躇いがちです。今回は、上で述べた三つの意見に対する反論という形式で、大学生「こそ」行くべきであることを説明していこうと思います。

1.大学生のうちの恋愛は、コスパ悪すぎ

 この記事、書いているやつはモテないやつだろう、いや、その通りです。私みたいなモテない大学生にとって、恋愛に対するハードルは非常に高いです。飲み会で誰を誘うこともできずにただ家に帰り、一人の夜を過ごす。そんなことを繰り返していたら自己肯定感がそぎ落とされて鬱になります。鬱になったら飲み会にも行けなくなり、ただでさえ少ないチャンスをゼロにすることに繋がります。モテない大学生は将来金持ちになるべく勉強しましょう。そして、大学生のうちは、何とかして自己肯定感を維持し続けましょう。卒業(中退という説もある)しに行くのも、その手段の一つとなり得ます。

2019/08/17追記:卒業してきました。

2.モテる人は、ただお金を払っていないだけ

 モテる人は行く必要のない場所である、というのは確かです。しかし、行く必要がないからといって、タダで出来ているかと言うと、そうではないと思います。まずは相手の都合があります。スケジュールが合わなければその日は無理でしょう。また、体だけの関係と割り切っていたとしても、互いの身分をある程度明かしたうえでの人間関係である以上は、他の人間関係の障壁になり得ます。このように、お金を支払わない関係である以上、時間またはリスクを負うことが必要となってきます。結婚でさえ、お金が絡んだ関係であるというのに、掛値なしの人間関係なんてものは、モテる人であろうと存在しません。

3.卒業と中退の違いなんてものは、無い

 卒業も、中退も、結局は自分の意思で選択したものです。また、中退したからといって履歴書に残るものでもありません。学歴詐称はいくらでも可能です。もちろん、中退を自虐ネタとして披露するのも自由です。ただ、これだけは守っておいた方がいいというのは、「自分の意思で」という一点だけです。だれかに連れていかれそうになったら断った方がいいと思います。というのも、これらの選択というのは、自分の意思で決めている以上は、「そこに卒業できる人がいたから」卒業した、あるいは、「そこに卒業できる人はいなかったけど、中退の機会を得られる場所があったから」中退した、という紙一重の選択であり、たまたま目の前にいた人が卒業の対象だったか、中退の対象だったかの違いに過ぎないと言えるからです。

まとめ:中退も選択肢の一つ

 大学生は、大学生という身分のメリットに対して「授業料」という形でお金がかかっているという考え方があります。仮に留年して、大学に居続けても、就職のしづらさという観点で、大学生でいるメリットが減ってしまうのであれば、卒業を待たずして中退するというのも一つの選択肢です。もっとも、大学の場合は話が違ってきて、親の迷惑にもなったりしますが…、別に童帝大学を中退しても誰にも迷惑がかからない、良い話じゃないですか。大学生は、自己肯定感をとにかく高めることが必要です。童帝大学に居続けることによって自己肯定感がそぎ落とされるのであれば、中退するのがいいと思います。

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