「量より質」は、ついつい信じがち

 初めまして、教授と申します。私は人生において度々、「量より質」という言葉に踊らされてきました。しかし、今では真逆の、「質より量」を実感として得るようになっています。普通の感覚では、「量より質」が適用される場面が多く、「質より量」が適用される場面は滅多にないのではないかと考えがちですが、実は、「質より量」は、「量より質」が適用されると思われる場面に潜んでいる可能性があるのです。その例を、一般的に「量より質」が適用されると考えられがちな具体例をもとに考えていきたいと思います。

具体例1: 部活

 部活で勝てるようになるためには、どのようにしたら良いでしょうか。中学や高校では、基本的に部活に充てられる時間は学校ごとに差はなく、一回一回の部活の質を高め、部活外の時間を使って振り返り、その内容を明日の部活に活かす、というのが王道なのでしょうか。しかし、そうした振り返りの時間は、一定のレベルに達するまでは無意味です。量をこなしていないのに振り返りをしても、その振り返りには質が伴ってきません。このように、質というものは、量をこなすことで初めて生まれてくるものです。

具体例2: 恋愛

 これに関しては、「量より質」があくまでも建前であることを認識している人も多いのではないでしょうか。学生時代の恋愛は、結婚を前提とした交際に比べてうまく行かないと、よく言われますよね。それでは、うまく行かない、つまり結婚してもいいような関係に発展しないのであれば、学生時代に恋愛をする意味は無いのでしょうか。もちろん違います。学生時代の恋愛において量を重ねることによって初めて、結婚を前提とした交際ができるようになります。結婚においては、価値観の共有が重要になってきますが、学生時代に恋愛経験が無ければ、価値観を誰かと共有したという経験が乏しいものになってしまいます。こうした結婚を前提とした交際が質の高いものであるという一般的な考え方は、学生時代の恋愛において量をこなすことで初めて成立するということです。

「量より質」の正体

 以上2つの身近(?)な例から分かるように、「量」というものは地道で目立たないけれども、質を生み出すためには量が不可欠であるがために、質ばかりが注目されてしまう結果、ついつい質が重要であると信じてしまうのです。

結論:「質より量」

 運が良かっただけの成功者が「量より質」であると思うのは勝手ですが、それを他人に強制してほしくはないものです。恋愛で「量より質」と言っている記事の言ってることなんて、「生涯で一人と愛し合えるのが理想」という浮世離れした考え方でしかありません。我々には、「質より量」というのが性に合っています。

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