初めまして、教授と申します。私のブログにおいて、過去記事を参照していただくと分かると思いますが、中学から高校にかけてを黒歴史のように扱っています。現に、中学から高校にかけてはまさに、中途半端に勉強しかしてこなかったような人間だったので、それ以外の面で何も成し遂げることができず、自己肯定感が日に日に削がれていくような期間であったように思えます。つい最近までは、一度しかない青春をドブに捨てた中高時代の自分が許せないと思っていましたし、それと同時に、自分が過ごした中高時代に、意味は無かった(正確には、自分が通っていた学校に行っていた意味は無かった)と考えていました。
無意味だと言うのは楽だから
しかし、このように無意味だと言って過去を許さないのはなぜかというと、その方が楽だったからでした。許さないと言っていくら過去の執着から解かれようとしても、本心は、捨てられない過去が今の自分を縛っていると考えているので、受動的にではありますが生きることができてしまうのです。逆に、能動的に生きるということは、自分のなりたい将来像が今の自分を縛る、という考え方で、真逆の姿勢にあたります。そして、「能動的」の究極形が、未来に訪れる「死」と向き合いつつ、限られた時間で自分はどう生きるか、といったことを考え続けるということになります。受動的であるということは、それらを放棄するという点では楽なのです。
「受動的」という麻薬
そして、受動的であることの弊害は何と言っても、過去の自分が今の自分のみならず、将来の自分も縛ってしまうということであります。「自分にはこういう過去がある、だからこういう将来で妥協するべきだ」という考え方に心当たりがある人もいるのではないでしょうか。私にも心当たりがあります。たとえば、「私は中高時代にまともな恋愛を(したくても)できませんでした。だから、恋愛には向いていないので、将来結婚はできないでしょう」といった考え方に陥った時期もあり、その時期にはどうしても、「まともな青春を送ってこなかった人はその後の恋愛においてもうまく行くわけがない」という情報に目が行きやすくなり、私も「自分もそうなんだろうな」と悲観的になっていました。今でこそ、「青春を送ってこなかったという自己肯定感の低さを引きずると自分もそうなるだろうな」と、適切な見方ができるようにはなってきました(他の人にとって正しいかは保証しないが)。しかし、当時の私は悲観的な自分に酔っていたという面もあったことは否定しません。過去の自分に引きずられることで、人は簡単に「酔う」ことができます。そして、その受動的な姿勢は簡単に「中毒」を引き起こし、そう簡単にはこのような負のループを脱却させてくれません。
嫌な思い出を「昇華」、具体的には何をする?
以前の記事で、過去の自分を許せなくて何も手につかないと感じているときの応急措置としての対処法を3つ紹介しました。
ここではさらに、「許せない」という気持ちが比較的落ち着いてきて、自分の中にある納得のいかない感情と今後どのように向き合っていったら良いかという方法を3つほど紹介していきたいと思います。
対策1: 今の自分と過去の自分の違いをはっきりと認識する
今の自分は、嫌な思い出を経験した分、過去の自分から何らかの変化をしているはずです。それは良い変化かもしれませんし、悪い変化であったり、無変化であったりもするでしょう。まずはそれを認識した上で、自分は理想的な変化を遂げることができているのかを見直してみると良いかと思います。仮に無変化だったとしても、自分は嫌な思い出を経たにも関わらず、それに影響されずに自分を貫くことができたとなります。悪い変化であったとしても、それを認識できた時点で大きな一歩だと思います。というのも、今まで過去を「許さない」ことに甘えて、「今の自分は過去の自分と何ら変わらない」と諦めていたのですから。私の場合は「自己肯定感が低下した」という悪い変化でしたが、その現状に気づくことができ、今後は自己肯定感を高めるか、それができなくてもせめて維持しよう、という考えにシフトしていきました。
対策2: 同じ轍を踏まない
確かに過去の自分と今の自分ではなんらかの違いが見られたとしても、やはり過去と今で繋がっている、似たもの同士の自分であるゆえに、同じことを繰り返してしまうという可能性も考えていく必要がありそうです。そのため、嫌な思い出を「許さない」よりも、むしろ向き合っていった方が良い結果が待っていることが多いと思います。自分のどの部分が悪かったか、そしてその悪い点は現在改善したか、また、相手にも悪い部分はあったか、相手も自分と同じ思いをしていなかったか、など、考える余地は多いです。一気に考えるのではなく、少しずつで良いので、考えていきましょう。私も、こうして毎日記事を更新していくことを通して、嫌な思い出と少しずつ向きあっています。
対策3: 嫌な思い出を抱える自分を許す
私のように、「許せない」人の中には、本来尊重すべき過去を、嫌な思い出としてしまっている今の自分さえ「許せない」という、完璧主義的な考え方を持つ人もいるかもしれません。しかし、過去の自分、嫌な思い出は、もうここにはありません。過去の自分が今の自分に何らかの評価を下されるように、今の自分は未来の自分にしか評価されません。まずは未来を考えましょう。そして、いつか未来の自分が「今」を評価するときがくるまでに、過去の嫌な思い出を塗り替えておけば何も問題ありません。仮に過去の自分、未来の自分が許さなくても、今の自分だけは、自らを許しましょう。と、私自身にも言い聞かせておきます。
まとめ
「許さない」ことを名目に受動的な人生を送るのはたしかに楽だと思います。しかし、この姿勢はある種の麻薬であることは確かですので、受動的な人生を送る分には自由ですが、他の人に影響を及ぼすというのは避けた方が良いと考えます。自戒の念を込めて。