ノスタルジックな北九州
「近道は、遠回り。急ぐほどに足をとられる。始まりと終わりを、直線で結べない道がこの世にはあります。迷った道が、私の道です」
このナレーションで有名なCMがあったのをご存知だろうか。毎年、私たちの心に響く詩とノスタルジックな街を映したCMを発表することでおなじみの、大分焼酎「二階堂」2008年版である。実はロケ地がすべてホームページに載っており、その多くが大分県、福岡県に集中している。そして、特徴的なのが個人宅でのロケである。実際にそこに住んだことはない、でもどこか懐かしい、そんな木造住宅だ。
お酒を飲むと、嫌なことを忘れられる。そんな微睡みは、どこか淡い過去の思い出に通ずるものがあり、それを心の奥から取り出すかのよう…
この解釈が正しいかはともかく、焼酎そのものを宣伝することなく、心の懐に入っていくという点で優れたCMだと思う。もちろん二階堂に限った話ではない。お酒のCMには、そのものが芸術と言えるような素晴らしいものが多いのである。
さて、二階堂のロケ地として特徴的な場所がもう一つある。それは、近代の産業遺産とも言える大正時代前後の建築が見られる、北九州市である。北九州の近代建築で有名なのは、門司港レトロである。ところが、そこがロケ地になっていることはなく、主に若松区と戸畑区に集中していることがわかる。若松は、かつては島で、現在の筑豊本線が、筑豊炭田でとれた石炭を若松駅まで運び、日本各地に輸送するために、若松港で積替えていたという歴史をもつ。戦後に北九州港が指定されると、もともと若松周辺の土地を持っていた企業自ら、整備のために埋立によって土地を拡大した。埋立地は、若松と戸畑を隔てた洞海湾の奥の方まで広がっている。それでも、若松と戸畑が最接近していた場所に明治時代から通っていた若戸渡船は、一時は若戸大橋の開通により廃止が計画されていたものの、市民の要望もあって残ることとなった。洞海湾の奥には八幡が位置し、関門海峡への輸送ルートとして一定の幅が確保されたことが、若戸渡船の両岸がかつての姿を留めたままでいられた理由ではないだろうか。また、私が小倉駅北口を訪れたときにも、どこか懐かしさを覚えた。というのも、もともとその場所は海で、埋め立てによって出来た土地ではあるが、東京のように埋立地が再開発されて超高層ビルが建ったりすることなく、工業地帯だった頃の名残があると感じたからだ。北九州市におけるノスタルジーは、臨海のノスタルジーだ。門司港レトロにおける、近代建築の街並みも、ややテーマパーク的ではあるが、港という異文化の交流地にふさわしいものとなっていると思う。九州に関門海峡あるいは関門トンネル経由で足を踏み入れるときは、これらのノスタルジーに触れることになるかと思う。
一口コラム 〈焼酎の歴史〉
日本酒の蒸留方法が伝わったのは、600年ほど前になる。最初に伝わった場所は薩摩という説があり、九州から日本全国に広まっていったと言える。古くは、単式蒸留器と呼ばれる、一回ずつ蒸留を行うことでエタノールを取り出す方法をとっていたが、明治に入るとイギリスから連続蒸留器と呼ばれる、エタノールの純度を高めた装置が輸入され、大正時代初期には、その方式で生成された新式焼酎が流行したため、昔ながらの方法で製造していた九州の焼酎は、琉球諸島で作られていた泡盛において使用されていた黒麹を用いることで対抗した。さらに、黒麹のデメリットを解消した白麹も研究によって生まれた。戦時中燃料用のアルコールを製造していた会社の一部は、戦後には日本酒に転換したことで、九州の焼酎も勢いを取り戻し、白麹は昭和30年代に九州全土にわたって用いられるようになった。焼酎と言えば、九州の県を思い浮かべる人も多いが、焼酎は九州とともに歩んできたことには違いない。
九州の観光における伝統
「九州を観光してくる」と言われると、九州を一周するのだな、とまずは思う(東京人にとっては)。九州にはそれだけ、その場所に行かないと分からないもので溢れているということだ。現代においては、実際に行かなくても、という事例が多いために、「行かない」ことに慣れてしまっている節が、多かれ少なかれあると思う。実際に行くということに不安はつきまとう。それを九州が乗り越えてきた理由は、九州に対する親近感を皆、どこかに持ち合わせているからではないだろうか。
JR九州のイメージ戦略にも当てはまる。水戸岡デザインの列車の宣伝で沿線風景が際立つのは、列車の外装から内装まで、旅を演出するためにデザインされているからである。そして、もちろんデザイン自体にも親しみが湧くようになっている。さらに一般化すると、人間による営みが感じられる場にいることで初めて、自然の美しさに気が付くという、そのプロセスを再現しているのだ。そして、自然と向き合うことで発展してきた九州の街並みは、いずれ観光する人のそれぞれの過去と重なり合う。これは旅の本質でもある。まさに九州は、「旅」に特化した、「旅」をするためのテーマパークではないだろうか。車ではなく、鉄道で九州一周旅行を計画し、訪れる各地で焼酎を楽しむのもいいかもしれない。