そして僕は行間を読むのをやめた

これは、どこにでもいるアダルトチルドレンの物語。

 私はよく、お金に執着する。そして、あらゆる議論を、お金に換算して進めようとする。たとえば、「国会議員の給料を一人あたり月1千万円削るべきである」というテーマに対し、その削ったお金を日本国民一人ひとりに分配すると、一人あたり月に60円程度が行き渡る、果たしてその行為に意味はあるのか、といったアプローチをする。要は、国会議員には給料に見合った活動をしている人もいればしていない人もいるのに、一様に月給何千万ももらっているのは「正しい」のか、という答えが求められている議論で、「別に批判しても意味が無い」と言っているような、競争心、闘争心の欠片も無いようなやつである。

 もっとわかりやすく言おう。私は常に、「お金がないからそれに見合うだけの人生しか送れないだけだ」と自分自身について考えている。「お金があれば人生変わるのに」と思いながら、何の行動も起こさないから何も変わらない、そのことに甘えているのである。人は、何かが手に入らないほど、そのものに執着する。手に入ってしまえば、もう執着する必要はないのだ。いま大学生である私の場合、就職すれば、いま喉から手が出るほど欲しがっている月ウン十万のお金は手に入るだろう。そうなったとき、私はどうなるか。このままの状況が続くと、将来「愛」に執着するだろう、ということが目に見えている。そう、別にお金に執着すること自体が悪いのではなく、「執着グセ」を持っていることがいけないという自覚がある。

 執着の対象というのは、往々にして「記号」である。たとえば、本物の「陽キャラ」は自らを指して「陽キャ」とは言わない。自分を「陽キャ」と言っている人は、「陽キャである自分」が好きなのだ。私にも、「記号としての自分」しか愛せなかった時期があるから、とても共感できる部分がある。そして、心から人を愛せたと思っていた初恋、それも「自分を尊敬してくれている」という「記号としての相手」しか愛せていなかったのだ。自分を愛せない人が他人を愛せないのは当然である。こんな私の「執着グセ」の原点は間違いなく中学受験であろう。模試や、毎週行われるテストで良い点数を取ると達成感がある。間違えた問題の解き直しは、父親の指導のもと全問に対して行われた。その繰り返しによってより良い点数が取れると、当時の私は信じていた。しかし、当時の私と私の父親は、良い点数を取れる根拠を明らかにしようとしなかった。テストで高い点数を取れるようになっても、入試本番で通用するのは、自ら率先的に過去問を分析することで初めて得られる自信、得体のしれない「今年の入試問題」という未知のものに対する、根拠ある自信だけである。模試の点数に執着したことで、過去問の点数は上がらないという現実を見て見ぬふりをしていた。執着とは麻薬のようなものであり、必ず執着の対象ではない他のものにしわ寄せがいくのだ。

 「良い点数を取る自分」が好きだった小学生の自分。こうした執着グセを治す機会は、思春期において多くの人に訪れる。逆に、思春期に執着グセを治せなかった場合、今後の人生においても治らない可能性は高くなりそうだ。執着グセを治すには、思春期において自分の手に届く範囲でものごとを成し遂げることが必要である。一度ついてしまった執着グセは、このように執着を克服したという「成功体験」を積むことで治っていく。しかし、中学受験では第一志望に受からず、「成功体験」は積まれなかった。さらに、中学一年の時点で塾に入った自分にとって、「ものごとを成し遂げる」の基準は、「大学に合格すること」になってしまった。ハードルが高いとかいう次元の話ではない。一番こわいのは、ずっとそれで中学、高校と過ごしてきて、大学に合格しなかった場合だ。この場合は、中学生の自分、高校生の自分が完全に葬られたことを意味するので、大学生以降の人生における拠り所が無くなってしまう。

 結論から言うと、実際にそうなった。最初は大学に合格することが「何かを成し遂げる」の基準だったが、学校生活において「何かを成し遂げる」経験を積むことでその価値観が変化して、執着グセが無くなるという可能性もあった。中高6年間を思い出せば思い出すほど、「何も成し遂げていない」自分がそこには居た。部活も中学二年でやめた。クラス内の立ち位置もそこまで良くなかった。ピアノを10年近く続けていたが、学校が呼んだオーケストラと協奏曲を演奏できるというオーディションにも三年連続で落ちた。塾の成績は右肩下がりだった。友達のうち何人かは、学校に来なくなった。初恋は実らないどころか、むしろ葬り去ってしまいたい思い出になった。そして、大学ももちろん、第一志望に落ちた。そんな当時の私にとっての拠り所は、「旅をしている自分」だった。中学三年の頃に「乗り鉄」にはまり、高校一年では日本各地を目的地として弾丸旅行を繰り返していた。もちろん親にお金を出してもらっていたから、親に対する負い目も生まれた。塾を一回休んでいたことがばれると、「お父さんが働いて稼いだお金なんだからね」と母親に叱られたものだ。

 卒業式後、大学入学前の一ヶ月間は空虚そのものだった。浪人してもうまく行かない自信だけはあった。当時の自分は、空虚ながらも、欠陥人間であるという自覚だけはあったみたいだ。大学一年では、夏休みまでに、高校までに成し遂げられなかったことをいくつか実現した。初めて自分でバイトしたお金で旅にも出た。しかし、楽しい生活は一年も続かなかった。20歳が近づくにつれ、違和感が芽生え始めたのだ。10歳に中学受験を始めて以降、10年間の目に見える成果に心当たりがほとんど無かったのである。中学に入って以降、下がった自己評価を元に戻すすべも持ち合わせていなかった。20歳になるまでの私にとっての拠り所は、もうスカスカになってしまった根拠のない自信であった。もう高校までの自分とは違う、というただそれだけが根拠であった。

 20歳になる直前に、通っていた高校の近くのホテルでお店の人を呼び、疑似恋愛をお金で楽しむようになった。それ以来一ヶ月に一回のペースを守って店に出向いている。就職してお金を本格的に稼ぐようになるまでは、こうして自己肯定感を上げずとも下げずに維持しようと努めている。しかし、一ヶ月に一回とは言え、ついつい頭の中がそのことでいっぱいになってしまうこともある。まだまだ執着グセが抜けきっていないということだろう。自分が通う店の性質上、「卒業」まではしていない。卒業したら執着しなくなるのだろうか。

 この夏休み、20歳の誕生日を迎える前後に抱いていた違和感の正体が、執着グセであるということにようやく気付くことができた。そして、執着グセが抜けきっていないということは、まだ何も成し遂げられていないということを意味する。今夏も北海道に行くのだが、その道中で「卒業」をしようと考えている。卒業によって一つ執着が無くなるのは確実とみられる。しかし、それ以降何か別のものに執着してしまうというリスクもある。それを回避できるかどうかは、自分でも分からない。しかし、日本各地に私の執着グセを解いてくれるかもしれない「店」があるのだから、それを試さない手はない。

 店での卒業を選んだ人たちが、薄っぺらい自信に苦労されられたという話も聞く。しかし、薄っぺらい自信を持ち続けてきて、そしてその崩壊を経験した私が、それをコントロールできないでどうするのだろう。今までコントロールできなかったから、失敗した人生を歩んできたのだ。次も同じ過ちを繰り返したら、一貫の終わりだ。無理にでもコントロールしていかないといけない代物であることには間違いない。それでも自信が無いよりはマシだというのが、一度自信を失ってみての感想だ。肝心なのは、決して店で卒業するという手段を選んだことに負い目を感じないことである。店で卒業しなかった人でさえ、自分の手の届く範囲の人に卒業させてもらったのだ。偶然にも日本では、お金を出せば手の届くという方々がいる。偶然、「手の届く範囲」のベクトルが異なっているだけで、卒業の権利は、等しく与えられている。また、誰かにそそのかされたわけでもなく、自分の意思で行くということも重要だ。これらを意識すれば負い目を感じる必要はないだろう。

 私はこれからも、「記号としての自分」を愛していこうと思う。別にそれが最善だとは思わないが、現状の私にとっては最善の選択肢である。「記号として」ではなく、本心から、過去の自分も含めて愛せるようになるかは運次第だ。

タイトルとURLをコピーしました