8月13日火曜日。民宿での目覚めは、とても心地よいものだった。
盛に泊まった目的は、岩手開発鉄道の撮影であった。一度晴天の下で写真を撮ったこともあったが、さらに良い写真を求めて、もし晴れていたら一日中撮影しようと考えていた。
しかし、一日中撮影する条件はなかなか整わなかった。今後も機会があれば、大船渡市への弾丸旅行を計画したい。そのために貯金を作らないと…。
BRT大船渡線は、途中「奇跡の一本松」を通る。間近で見たことはない。バスの運転手が、「一本松」と省略してアナウンスしていたのが、地名のアナウンスのようで印象的だった。将来復興が進むにつれ、一本松という地名が付けられるかもしれないな、と思った。
BRT大船渡線は、BRT専用道だけではなく、陸前高田では一般道、唐桑では自動車専用道を走行する。なので、時には渋滞に巻き込まれて10分程度気仙沼駅到着が遅れることもある。一ノ関行の列車への乗り継ぎ時間も、その遅れを考慮して30分程度、余裕をもったものとなっている。
大船渡線・一ノ関行の列車は、かなり空いていた。ここから石巻や女川に向かうにあたって、気仙沼から柳津を経由して前谷地へと向かうBRTと、同じ時間に着くため、一ノ関、小牛田経由のルートを選んだ。以前夜に柳津行BRTに乗ったところ、地元の高校生が利用しており、路線バスのような使い勝手であることが判明した。
途中には猊鼻渓という観光地がある。三陸鉄道もそうなのだが、東北の人たちがお盆休みを利用して帰省や観光をしていることが多いと感じた。東京の人は、私のような乗り鉄以外にあまりいないように見えた。
そして、一ノ関駅ではすでに小牛田行列車が待機していたが、その前に駅蕎麦を食べた。思えば朝食も食べていない。これがこの日の昼食となった。
さて、小牛田駅で石巻線女川行に乗り継ぐ。石巻では30分ほど時間調整のため停まっていた。
そして、女川駅に着いた。地図をみてもらうと分かるのだが、駅から海に向かって一直線の都市計画となっている。まさに「復興都市」にふさわしい計画だ。また、駅周辺にはコンテナを利用した宿が用意されている。ネット上の画像でしか見たことがないのだが、かなり快適そうであった。
女川駅からの折り返し列車はすぐに発車するので、早めに乗り込んだ。本日は仙台の宿泊である。利府支線に寄り道しつつ、仙台駅に到着した。
ちなみに、塩釜駅の東側には、仙石線の「西塩釜駅」がある。仙石線の本塩釜駅、東塩釜駅ともに開業は戦前である。こちらの塩釜駅の開業は戦後だ。
行こうとしていた「たんや 善治郎」は、牛タン通り店はもちろん大行列だったし、駅前店も並んでいたため、後で行くことにした。あるいは、国分町のカプセルホテルに宿泊するため、周辺の居酒屋で牛タン料理を提供している店に行こうと考えた。
仙台に宿泊する理由は、青葉城公園からの夜景であった。以前、仙台から東京まで夜に新幹線で帰ったときに、仙台駅発車直後の右手車窓(西側)にビル群の夜景が映っていたのが印象的で、それを写真に収めようと計画していた。
本日の宿は、2016年3月に、急行はまなすの最後の雄姿を撮影する道中に泊まったことのある、国分町のカプセルホテルである。前日の夜に空き室を確認し、急遽予約をとった。電話予約もしくはホームページでのWeb予約をすると、学生証の提示で2500円で泊まれる。
テレビをつけた状態でないと充電が使えない上、コンセントが一つなのが少し不便だが、PCを接続し、USBポートに携帯を接続することで解決した。番組はBSにでも合わせておけば、映らないので眠るときに支障が出ないだろう。
一番町の「牛タンのせんだい」で、牛タンの竜田揚げ(900円)を頼んだ。居酒屋なので、ついつい日本酒を飲みたくもなるが、翌日の行程に支障が出てはいけないので、今後しばらくは、旅の間は飲まないと決めている。