写真で振り返る修学旅行〈九州・山陰〉

 今、自分が高校生活を振り返って、卒業文集を書くとしたら、修学旅行について書くに違いない。それ以前まで鉄道一色だった自分が、初めて旅の良さに気が付いた、それほど良い旅行だった。日程は、1日目と2日目が長崎、3日目が吉野ケ里遺跡、大宰府と長門市への移動、4日目が萩、秋吉台、秋芳洞の観光と湯田温泉への移動、5日目が石見銀山、埋没林の観光と松江への移動、6日目が出雲大社の観光だった。
 長崎での宿泊は、稲佐山観光ホテル、長崎湾をはさんで長崎全体が一望でき、夜景が綺麗な旅館だった。1日目は平和祈念公園、出島、大浦天主堂などを巡り、2日目は佐世保を観光した。1日目は完全に自由行動で、皆長崎を観光していた…と思いきや、グループを抜け出して(もちろん班員の許可をとって)、博多まで特急で行って博多ラーメンを食べて帰ってきたという猛者もいた。帰りに浦上駅で「或る列車」とすれ違ったらしく、運のいい男だ、と思った。2日目の佐世保では、水族館に行ったのだが、イルカを撮りすぎてSDカードのデータが無くなったため、やはり班員の許可をとって、「カメラのキタムラ」に寄った。何回かSDカードを買うのにお世話になっているが、佐世保にあるとは思っていなかった。そして、長崎への移動まで多少時間があったため、入場券を購入して佐世保駅にも入った。バス移動が主だったこの旅における、数少ない鉄道成分だ。

稲佐山観光ホテルと長崎の夜景
佐世保駅

 3日目は、観光もそれなりに楽しかったが、今でも忘れられない風景に出会えた日でもある。それは、関門海峡から山口県西部にかけての、日本海に沈む夕日―私の母の実家も日本海に面していて、見ることができる原風景であった。その美しさを改めて実感することができたということだけでも、この修学旅行に価値があったと思える。

門司港方面を望む

 4日目は、秋芳洞が印象的だった。洞窟の中を流れる地下水が、外に出てそのまま川となって流れていくという光景に出会えて感動したのを今でも覚えている。ぜひ秋芳洞に行くときは、上のほうから下っていくルートを採用してほしい。

 5日目は、何かと縁のある三瓶山(過去記事を参照)小豆原埋没林に行った。特徴は、火山噴火による谷の堰き止めによって土砂や木が堆積した部分を掘り起こし、木だけが発掘された当時のままの状態で保存されているというものである。つまり、地上部分に博物館の入り口が顔を出している以外は、博物館ごと地下に埋まっているのである。かつては谷底だった場所に厚く土砂が堆積しているのだから、地上にいる限りは、単純に周りを山に囲まれた、多少平坦な土地というだけで、特に何の印象も与えない場所である。しかし、近くにそびえる三瓶山が活火山ということを知ってから来るとだいぶ違った印象に見えるのではないか、と思う。

埋没林がこの地下に埋まっている
出雲大社参道沿いの商店街
出雲大社前駅に留置中の車両
米子空港方面を写す

 6日目は出雲大社周辺を観光した。自由行動だったので、出雲大社前駅の保存車両を見てきた。近くの休憩所で昼食を全員集合で済ませ、バスで米子空港へと向かった。途中、後藤総合車両所を見ることもできた。羽田空港に着いたとき、余韻に浸りながらこう思った。
 「この旅は、一生忘れられない旅になるだろう。できればもう一度行きたい。しかし、それは叶わない」
 ところが、その読みは2018年9月、ついに外れることとなった。具体的には、修学旅行で訪れた場所のいくつかに、再び訪れる機会を得たことで、記憶が上書きされたということである。ちなみに、ルートもどことなく似ている。なぜそれが修学旅行という過去への執着を捨て去るきっかけになったかというと、その旅の目的が他ならぬ、「過去の自分との出会い」だったからだ。その具体的な内容を次回書いていこうと思う。

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