冬の北海道を歩く 2日目 (2019-02-19)

まえがき

 春休みの過ごし方なのですが、2月に一度北海道に3泊4日の旅に出て、3月3日から7日にかけて、北海道、青森、三陸を巡るという旅に出ました。2月の旅行に関しては、4日目までこのブログで書いていこうと思います。3月上旬の旅行は、4泊のうち3泊がフェリーという過酷な旅行でした。そして、3月29日から4月3日にかけて、紀伊半島、四国を巡る旅を予定しております。5泊のうち1泊フェリー、4泊ホテル、4月3日の夜は寝台特急サンライズ瀬戸の車中泊とのことで、今までの旅の集大成となる見込みです。しかし、これらの内容は、おそらくこの場ではなく、Wordpressにブログを移行した先での報告となるかと思います。というのも、現在Webサーバの運用に興味を持っており、ホームページのテスト制作およびサブドメインにおける公開をする段階まで進めております。今後はルートドメインをWordpressに移行し、自作ホームページとの連携や、ASPの登録など、幅広い運用を目指していけたらと思います。さらに、現在知識はゼロなのですが、Webアプリケーションや、C言語を使ったアプリの制作にも興味があります。建築学科における勉強といかに並立するかが課題ですね。ただ、建築学科が理系にあったことで、今まで数学や理科が得意だからなんとなく選んできた理系の学問に対する興味が今更ながら湧いてきたので、建築学科が理系にあることのメリットを実感しているところです。それでは、北海道旅行の紀行文、2日目を書いていこうと思います。

旭川駅

 2日目は、2泊目の上川層雲峡にあるホテル大雪への移動の日であった。そして、石北本線はまだ乗っていなかったため、3日目に北見までバスで移動することを踏まえて、北見まで一旦行ってから上川までの切符を買った上で引き返すことにした。北見までは特急に乗車する。石北本線の上川以東は、あまりに普通列車の本数が少ないために、旭川駅の券売機の上にある料金表も特急列車に乗車することを前提としたものとなっているのだ。さて、北見での折り返し時間はそこまで無いので、旭川駅のみどりの窓口で北見-上川の乗車券を買った。そのとき、特急券を購入する客が前に並んでいたのだが、指定席券が満席とのことで、自由席券を買っているのを見て、自分も自由席券を買ったら、移動時間を満足に過ごせないと考えた。初めて乗る路線だけあって、景色も見たい。そこで、グリーン券を購入し、窓側の席を確保した。
 旭川駅のホームに上がると、木の枝のような形をした柱が天井を支えていることが分かる。ここで、私は前日に訪れた川村カ子トアイヌ記念館を思い出していた。アイヌの伝統的な暮らしでは男性は狩りに出る一方、女性は植物や木材の調達、加工、製作を一手に引き受け、保存食、布、木の彫刻を作っていた。そして、調達した材料は、最後まで使い切ることで、自然への感謝を表した。内藤廣の設計したこの旭川駅は、このような伝統を踏まえたうえで、「木をどのように使うか」がテーマになっていると感じた。木を模したホームの柱は天井を支える構造そのものとなっている。改札外にあったコンクリートの柱は、型枠の木が、表面に木目をあえて残して使われたため、木の模様が表面に現れている。

グリーン車からの眺め。旭川発車前
壁の仕上げに木材が多く使われていた。

北見までの乗りつぶし

 特急列車は、遠軽に着くと、方向転換をする。車内では過半数がシートの向きを変えていた。もちろん自分もその一人だ。この後も紹介するのだが、かつてはその先に名寄、紋別、遠軽を結ぶ名寄本線があった。石北線(上川‐遠軽)が開通するまでは道央から北見(当時は野付牛駅だった)、網走へ向かう最短ルートだったようだ。ちなみにそれ以前は富良野、池田を経由するルートが最短だったという。池田と北見を結ぶ路線は後に池北線となり、第三セクター時代を経て廃線となっている。北見市街地を3日目に訪れたときは、線路が通っていたと思われる場所には道路があった。石北本線の北見駅西側のトンネルに差し掛かる手前で池北線が池田方面に分岐していたと思われる。そして、北見駅西側のトンネルは、連続立体交差事業によりできたものである。地下の立体交差としては日本初だった。このトンネルを抜けると、間もなく特急は北見駅に到着する。左側、つまり市街地の広がる側のドアが開き、端に若干雪の凍る北見駅ホームに降り立つ。下車する客は多かったので、乗車券および特急券を駅員に見せて、人が捌けた後に、翌日の北見駅再訪に備えて下車印をもらうことにした。下車印をもらうとすかさず北見‐上川の乗車券を見せて、遠軽行の普通列車に乗った。見たところ、停車する駅付近にはそれぞれ住宅地あるいは集落があり、かつて駅だったが現在は信号所になっている場所の周辺との差が顕著に現れていた。
 戻ってきた遠軽にて、昼食に出向いた。北海道版家系とも言うべき「山岡家」だ(家系ではない)。スープまで飲み干した後、残る豚骨のにおいを味わいながら、遠軽駅に戻った。名寄本線の形跡は、発車表示機と、紋別方面に伸びる廃線跡から伺えた。

「遠軽」の地名の由来となった岩とのことである。

いざ、層雲峡へ

東雲・上川間

 上川まで特急で戻り、歩道橋でラッセル車を撮影した。雪が1mほど積もっており、足を数十cm埋めながらの撮影だった。そして、旭川発層雲峡行のバスをロータリーで待った。定刻間際になって、バス会社の方が来て、10分ほど遅れるとのことだった。バスが来たら教えるというので、待合室へと入った。やはり室内は暖かい。
 バスに乗り込んだ。層雲峡、今日の最終目的地行のバスだ。日も暮れてきて、いよいよラストスパートという感じがしてきた。バスは大雪国道をひた走る。途中しばしば、JR貨物のコンテナを載せたトラックとすれ違った。このトラックは、1日目に永山の貨物ターミナルへ向かっていることが判明したが、一体どこから来ているのだろうか、と非常に興味が湧くものである。また、いわゆる石北貨物では鉄道が遠軽経由を選択せざるを得ないのに対し、大雪国道を経由すれば、層雲峡、石狩川上流域の先にある石北峠を越える最短ルートを取ることができるという、ある種の合理性にも納得である。
 層雲峡に着いて、すぐにホテルにチェックインしようかとも考えたが、どうやら坂を登る必要がありそうだったので、層雲峡氷瀑まつりを見てから、ということにした。そして、バスの停留所から会場までの下り坂で、今回の旅最初で最後の転倒をした。足が完全にとられて、後ろに倒れた。リュックサックを背負っていたというのもあるが、受け身を反射的に取ったため、怪我に至ることもなかった。柔道で習った受け身がここで役に立つとは…

層雲峡氷瀑まつりと…

ホテル大雪からの俯瞰

 ホテルの部屋からも、氷瀑まつりの様子を見ることができた。客室は、夕食時に布団が敷かれるタイプの、典型的な和室である。
 筋肉痛で温泉どころではなく、部屋でグダグダとしていると、花火が始まった。しかも、部屋の目の前が丁度炸裂する場所だった。

 温泉は2つあったので、ハシゴした。結局のぼせてしまい、部屋に帰ったら水を飲んですぐに寝た。もともと室内が暖かいので、畳の上で布団もかけずに寝ることができるのだ。逆に布団に入ると暑いくらいだった。こうして、2日目は終了した。少し前までは鉄道で行ける場所しか行ってこなかった。行く必要も無かったのだが、こうして今では観光のために、飛行機やバスも利用するようになった。その結果、こうしてホテル大雪という素晴らしいところに泊まることができている。一人旅の寂しさなど、入り込む余地は無かったのであった。

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