登山初心者が新地平日帰りピストン【笠取山】

登山初心者が新地平日帰りピストン【笠取山】 旅行

三度目の山行(自分語り:飛ばして構いません)

子どもの頃に高尾山を麓から登ったことはある。親の実家の近くにある500m級の低山に登った記憶もあるが、大人になって以降登った山は高尾山と七ツ石山(雲取山の途中にある)だけだ。それこそ成人したその日に、「高尾山の先に行きたい!」とのことで相模城山まで縦走してそこから下山した。そのときは、城山からは急だから登りたくないと思うほどだった。

そして、その年の夏、20歳という年齢の理想と現実の違いに鬱になっていた時期、何を思ったか雲取山の鴨沢ルート日帰りピストンを計画した。早朝に出発したが、徹夜明けかつ朝食抜きのため、目標の11時までに七ツ石小屋に着けなかった上、そのバテ具合とあまりの軽装に、小屋番さんに七ツ石山に登った後引き返すことを勧められた。そのときに最後の力を振り絞って登ったのだった。下山時の砂利道は確実に体力と集中力を奪っていった記憶がある。

これらの経験により、鉄道旅行ではしばしば行う長距離歩行と、登山とのギャップを痛感し、低山にたまに登る以外は登山とは疎遠になっていた。しかし、「川はどうしてできるのか」(著:藤岡換太郎)を読んで以降、受験生時代6年間疎遠になっていた地学に興味が再び湧き始め、日本にある山には多様な成り立ちがあることを知った。19歳、20歳限定で伊豆大島への東海汽船に無料で乗れるキャンペーンを使って、高校の頃の同級生が成人パーティーに参加するのを横目に、元町から三原山まで徒歩で行って火口を見てきた。1人と外輪山ですれ違っただけで、お鉢巡りのときは、人の姿のない火口の景色を堪能した。

そして、4月8日、緊急事態宣言が発表された翌日ではあるが、南風が入り湿度が上昇することによりウイルス感染のリスクが減少すると考え、人のまばらな特急かいじ号で山梨市へと向かった。

新地平→雁峠:沢登り

山梨市から西沢渓谷行のバスに乗り、11時15分に新地平のバス停から出発した。雲取山鴨沢ルートのように目立つ看板は無かったが、林道に入る箇所に小さな看板があった。

少し舗装路を登ると、私有地のゲートがあった。脇には歩行者が通れるほどの細い砂利道があったので、通って良いものと判断し、私有地に足を踏み入れた。しばらく砂利道が続くが、私有地の建物を過ぎて川を渡る箇所があり、そこから先は「ここが登山道ですよ」と示すものが少なくなっていった。

一旦川の左岸に渡る
登山道が侵食を受けている。
そのまま左岸を行くか、右岸に移るか。

反省点だが、まず地図の準備が無かった。アプリで山の地図をダウンロードできると知ったのは下山後である。そのため、どこで川を渉るのかは勘であった。幸いにも、たまに現れる看板のおかげで自分の進む道が正しいことを知ることができた。雁峠直下までは…。

白テープやピンクテープを目印に進んでいったが、白テープが明らかに道の無い崖の麓に巻き付いていたのを見て本当に沢を登り続けていいのか自信を失っていた。結果的にはそれに従わないで正解だった。そこからしばらく歩くと、ピンクテープが何重にも巻かれている木が崖の麓に生えていた。しかし、ぱっと見てそこを登れるように思えなかったので、そのまま沢を登ることを選択した。すると次第に斜度が増してきて、今までは沢の左岸または右岸のどちらかは歩ける状態になっていたのが、どちらも歩けないほど急斜面になっていた。ここでようやく自分が間違っていることに気がついた。ここで今更ルートを見ると、沢から雁峠まで東側に一気に上がることになっている。あのピンクテープの場所が沢を抜ける場所だったに違いない。雁峠に13時30分に着けなければ強制撤退だ。とにかく引き返して、ピンクテープに従ってみよう。

ピンクテープの巻いてある木に戻ってきた。木の裏側を見てみると、ぱっと見では分からなかった、崖の草に隠れた道があった。20歳になったとき、高尾山で6号路(沢の道)を登ったときを忘れたのか…。いつまでも沢を登っていても山頂にはたどり着けるわけがない。そして、沢から山頂へ行くには、それなりの急斜面を細い登山道が巻いていたじゃあないか。それを忘れて、ピンクテープの木の周辺を確認もしなかったことを後悔した。

空が見えてきた

そして、沢を抜けてからは雁峠まであっという間だった。迷子になっていなければ13時までに着けていただろう。

雁峠→笠取山西ピーク:急登

雁峠からは笠取山西ピークがよく見える。笠取山名物、100mの急登である。そしてそれは遠く感じられた。14時までに笠取山に登れなければ強制撤退となる。多摩川の源流を見ることが一つの目的だったため、水干だけ見て帰ることも頭にあったが、山の姿を見て登らずに帰るのでは、七ツ石山で雲取山を眺めたときと同じになってしまう。いずれ縦走で来るにしても、今登った方が確実にいいと思い、ラストスパートということで急登を登ることを決意した。

雁峠からは遠く見える笠取山
小さな分水嶺。笠取山に向けての稜線は、荒川と多摩川の分水嶺になっている。

笠取山直下には13時40分に着いた。20分でここを登れるだろうか、と思うほどの急斜面だった。

頂上付近は砂岩で滑りやすい

登っては後ろの景色を見て、今自分がどれだけ登っているのかを確認する、の繰り返しであったが、13時55分、笠取山西ピークにたどり着いた。

笠取山西ピーク→水干:岩場

笠取山の最高点は、ここではなく、2つ目のピークである。急登を下るのは、つい今まで登ってきたため、どうしても避けてしまう。地図を見るとここから東に向かえば水干を経由して戻ることができる。そのため、岩場を経由しなくてはいけないが、最高点を目指すことにした。

富士山は見えなかった
この先が本当の山頂
木陰から埼玉県方面の景色が見える、笠取山最高点

4月上旬、木に覆われた東側斜面は、一部凍結した雪が残っていたが、前傾姿勢で通過。すぐに合流地点に差し掛かり、今後の縦走に思いを馳せつつ、水干へと向かった。

こういう斜面、雲取山の鴨沢ルートで見たことがあるな。縦走時は滑落に注意したい
ここから多摩川は始まる

水干→新地平:下山

雁峠から沢下りを開始したのは、14時50分頃である。予定よりも30分遅くなっていたが、上りで迷っていなければ1時間45分で到着できていたことから、下りは1時間半ほどで行けるだろう、そして、16時28分のバスには間に合うだろう、と甘く考えていた。しかし、実際は1時間55分での下山となった。昼食は、山梨市駅前で買ったリポビタンD8のみだったせいか、足腰に疲労を抱えたままで、3回ほど小休止を挟んだ。理由は他にも思い当たる。今まで5分以上の休憩を挟んで来なかった。ペース配分に無理があったとも言える。また、上りよりも大幅に下りの時間が短縮できると思っていたのも考えが甘かった。

ケルンを撮ってる暇など無かった

というわけで、新地平に16時45分に着き、タクシーを呼んで塩山駅に連れていってもらった。1時間早く起きて、あずさ3号に乗っていれば、さらに余裕のある日帰り登山が楽しめただろう。ちなみにタクシー代は20km弱で6000円。時給6000円の男となった。

塩山駅までのタクシーでは、広瀬ダムの水は農業用水に使われていること、鹿が夜には道まで出てくることなどを教えてもらった。確かに山道でも3回鹿が逃げていく場面を目撃した。また、車窓からは笠取山では見えなかった富士山が、夕日に照らされてうっすらと見えた。

塩山駅のNewdaysで甲州ワインが売っているのを見ながら飲み物を買い、かいじに乗車したが、その頃から頭痛がしていた。それまでに1.5Lしか水を飲んでいなかったことと、前日の飲酒、栄養不足など、考えられる理由は多数あった。その日の深夜には治ったが、次回の登山では朝食をしっかり、行きの特急列車の車内で食べ、昼食も用意しよう。

まとめと今後の展望

iPhoneで地図を見ていたが、今後はiPadで見るようにしたい。そして、iPhoneは非常事態用(懐中電灯、GPS、山小屋への連絡)に電池を温存しよう、とまずは反省した。そして、健康管理には前日から、食事にも気を遣う必要がある。次回は、西沢渓谷へのバスの途中に通り過ぎた乾徳山の登山に、今回の経験と反省を活かして出かけたい。それ以降は雲取山のリベンジなど、小屋泊も視野に入れていきたい。いずれにせよ、新地平からの笠取山日帰りピストンは、危険箇所は少なく、沢登りにおける地図読み、急登、岩場、ペース配分の面で登山初心者のステップアップに大きく貢献するルートであると感じた。

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