はじめてのJetstar
2019年10月21日。翌日は即位礼正殿の儀による祝日とのことで、私は成田空港へ来ていた。やや設備が簡素と言われている第3ターミナルでLCCへの搭乗を待っていたのだが、今まで飛行機に一年に一回乗るか乗らないか、という私にとって、必要な設備さえ整っていれば、その見栄えなどは気にしていなかった。また、翌日には、日本にとって重要なイベントが控えているため、厳重な警備が敷かれていた。それは第3ターミナルにおいても同様であった。
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LCC初心者の私は、安全を見て1時間20分前にスカイライナーで駅に着いた後、第3ターミナルへの移動、保安検査を含めて20分で済ませた。もちろん、荷物を預けるのであればそれ以上の時間がかかるだろうし、保安検査が混雑していなかったというのもある。どうやら、夕方に第3ターミナルを出発する飛行機はそこまで多くはなく、保安検査も混みづらいようだ。もちろん早く着くに越したことはないのだが。
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機材は、A320。シートピッチはレガシーキャリアに比べて狭いとのことだが、体感的には以前ANAのB777エコノミーに乗ったときとほとんど変わらなかった。どちらかというと、手荷物を棚に上げることができるかによって機内の快適さは決まってくるようだ。今回は、機内で音楽再生用のスマホと、飲料用の500mlペットボトル、それと小腹が減ってきたときに備えて、フルーツグミだけを取り出し、あとは棚にしまったのが功を奏し、足も伸ばせる快適な機内であった。
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乗ったのは機内前方7列目のB席であった。両隣の方は、いずれも500円での機内サービス料金を事前に払っており、ソフトドリンクを頼んでいた。私はもちろん、持ち込みのペットボトルで3時間を持たせるはずだったが、実はC席の方に、「500円分使いきれなくてもったいないから、何か飲み物頼んでいいですよ」と声をかけられていた。ありがとうございます、と2回、すみません、と1回言いつつ、ご厚意に甘えてアップルジュースを頼むことにした。
着陸後に軽く会話を交わしたところ、ロシアの旅行から帰ってきた、とのことだった。休日と祝日に挟まれる日程でのフライトだったため、自分のように沖縄への弾丸旅行のために搭乗している人はそこまで多くはないと思っていたが、実際にさまざまな人が乗っていたということになる。「いい思い出になりました」と言ったところ、私が沖縄に旅行していることに気づいたらしく、「海外にも旅行するといいよ」とおっしゃった。
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そんなわけで、初めてのLCCは良い印象だった。那覇空港に着くと、すぐにゆいレールを見つけ、夕食も食べずにビジネスホテルで泥のように眠った。
浦添延伸で広がった観光の幅
私が沖縄を訪れる直前、2019年10月1日に、ゆいレールの首里〜てだこ浦西が延伸開業した。まずは、延伸区間を含めた乗りつぶしを行い、早速ゆいレール完乗を済ませた。もちろんこれを目的に沖縄に来たわけではない。
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てだこ浦西駅の一つ手前、浦添前田駅は訪れるべき場所だ。ここの近くには、沖縄戦の激戦地の一つとなった、前田高地(ハクソー・リッジ)がある。戦跡は浦添大公園として整備されており、琉球のグスク時代における浦添グスクの城壁が復元されていたり、尚寧王などの陵墓である、「浦添ようどれ」、沖縄戦で利用されたガマなどが見られる。沖縄平和祈念公園が整備される以前は、戦没者慰霊の地となっていたようだ。
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日本兵用の食料保管庫で、戦闘中には重傷者もかくれた
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朝の時間帯で離着陸の音が数十分に一度は聞こえた
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首里駅周辺で朝食後、首里城の観光へ
首里駅から北側へ徒歩3分ほどのところに、「あやぐ食堂」がある。朝の9時からやっているため、朝食には向いている。私はソーキそばを頼んだ。麺は300g程度あっただろうか。650円でこの量は大満足である。
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朝食を済ませたあと、首里城へと向かった。首里駅からは、城壁沿いに歩いて歓会門へとアクセスできる。
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ここを司令部にしていた第三十二軍は、本土決戦における米軍の兵力を少しでも削ぐため、また、本土決戦自体を遅らせるために、南部の摩文仁への撤退を決めた。
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有料エリアとはいえ、入る価値は十分にある。正殿の裏側は、かつて男子禁制のエリアで、女官が働く神聖な場所だった。御嶽(ウタキ)と呼ばれる信仰の場も設けられていた。さらに、首里城正殿は中国の建築様式をモデルにしているが、建築自体は日本の寺院建築をもとに建てられているということが、内部に入るとよくわかる。
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御嶽(ウタキ)は、琉球の信仰の対象で、島や森、山などに神や祖先が集まるという考え方である。琉球王国は、各地にあった信仰の対象を御嶽と名付けることによって信仰の統一を図った。その過程で神話などが誕生したと思われる。東という方角は、神の世界がある神聖な方角とされていることから、首里城の中でも東側に男子禁制の神聖な場所があると考えられる。
ひとくちコラム: 沖縄土産を買う場所
今回の旅行で、おみやげが買える場所が大きく分けて二箇所あった。まずは、おきなわワールドだ。玉泉洞やハブ博物公園があるだけでなく、ガラス作り体験、泡盛コーナーなど、沖縄県民も楽しめるテーマパークになっている。私は玉泉洞だけ見たかったので、1300円の入場券を買えば良かったが、それだけでもお土産屋には入れる。しかも、沖縄各地のお土産(もちろん離島のものも)が揃えられていた。おきなわワールドに行けば、有名なお土産は買えると言えるだろう。
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もう一箇所が国際通りだ。牧志駅から県庁前駅にかけて2kmほどあるが、そこを一回歩くだけでもお土産が一通り揃いそうだ。中には泡盛の試飲をさせてもらえる店もあった。私は試飲せずに物珍しさからハブ酒を買った。
また、石垣島名物の雪塩ちんすこうが国際通りの両方の入口にある専門店で買うことができる。美ら海水族館のアンテナショップもあり、荷物が重い人も、おみやげを買い忘れた人も、国際通りに来れば、ほとんどの人にとっては問題ない。
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南部の観光地(平和祈念公園・玉泉洞)めぐり
沖縄南部の観光地へのアクセスは、バスになる。一日乗車券(2500円)を県庁前のデパート7階で買うこともできる(10時〜19時)が、航空券などの提示も求められるので、事前に購入しておくのが望ましい。私のように夕方にかけて有名観光地を回る程度であれば、購入の必要はなかった。
ゆいレールの旭橋駅は、那覇バスターミナル徒歩2分ほどの場所にある。ここから沖縄各地にバスが出ている。ひめゆりの塔、平和祈念公園などの南部戦跡は、糸満バスターミナル行きのバスで「糸満ロータリー」まで行ったあと、玉泉洞行きのバスに乗ればたどり着ける。
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旭橋駅から南側に行くと国場川の河口部分を渡ることができる。そこから見える那覇港湾施設(那覇軍港)は、普天間基地から辺野古への移設問題の影に隠れている、もう一つの基地問題の舞台である。那覇軍港は、浦添市の沿岸部への移設が検討されている。辺野古と浦添の違いはほとんどない。辺野古はキャンプ・シュワブと呼ばれる既存の基地に併設して、普天間基地の機能を移す。浦添は、キャンプ・キンザーに併設して、那覇軍港の機能を移す。そのため、現在は、二つの基地問題が並行して検討されているはずである(本来なら)。
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那覇バスターミナルから糸満バスターミナルへのバスは、この那覇軍港をかすめ、車窓は次第に住宅地から農村地帯へと移り変わっていく。
糸満ロータリーは、様々な方面へのバスが出ている場所だ。コンビニもあったため、そこで飲み物を買うことができた。
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糸満から玉泉洞にかけては、ひめゆりの塔をはじめ、健児の塔、平和祈念堂などの近くをバスが通過する。私はそのうち健児の塔で下車した。健児の塔は、先ほど首里城で登場した第三十二軍とともに、首里から摩文仁まで撤退してそこで亡くなった、沖縄師範学校の校長および生徒の慰霊の塔だ。
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健児の塔は、海がよく見える崖の上に立っているが、さらに崖を登ると、第三十二軍司令部終焉の地がある摩文仁の丘に出る。ここには、各県の慰霊塔があり、戦没者の子孫にとって欠かせない場所になっていた。なお、「京都の塔」は、激戦地であった嘉数高地の、嘉数高台公園内にある。
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各県の碑が並ぶ
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半日かけて平和にたどり着いた
摩文仁の丘から平和祈念公園にたどり着いた後、玉泉洞へと向かった。沖縄戦で使われたガマ(洞窟)と異なるのが、内部を水が流れているということだ。水が流れているということは、洞窟内部の地形が平らではなくなっており、内部で生活しづらい。
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見るべきは照明ではなく、地形だ
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もちろん那覇バスターミナルへも戻ることができる
那覇空港深夜便のコツ
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日本最南端の赤嶺駅。
那覇空港から深夜便に乗るにあたって、那覇空港のターミナルが0時から1時まで閉まることに注意しなければならない。那覇空港行の最終列車は0時過ぎに到着するため、ゆいレールで着いても1時間は外のタクシー乗り場に設置されているベンチに座るなどして待機している必要がある。そのため、赤嶺駅付近の深夜1時まで営業のファストフード店で時間を潰せば、そこから25分〜30分ほど歩くことで那覇空港に着けるため、時間を持て余さずに良い。
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航空自衛隊と陸上自衛隊の敷地の間を通ることになる。
こうして、ゆいレールを使った弾丸沖縄観光は幕を閉じた。延伸開業によって、浦添の激戦地やグスクなどをめぐることが容易になり、沖縄観光の幅が広がったように感じた。
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