京都駅が壁となったのはなぜか
京都駅は、駅ビルの改築にあたって、1990年にコンペが行われた。国際指名コンペという形で、実際に設計した原広司のほかに、黒川紀章や安藤忠雄といった有名建築家が参加した。黒川紀章の案を見ると、羅城門をイメージした高さ100m超の、ゲートのような建築である。似た建築でいえば、シンガポールの屋上にプールがあるあの有名なホテル(マリーナベイサンズというらしい)が、タワーを2つに減らしたかのような建築と言えばわかるだろうか。京都タワーを上回る高さのため、景観に大きな影響を与えるような建築であっただろう。また、安藤忠雄は、高さは抑えつつも、今ロータリーがある部分までせり出すような建築を提案した。つまり、ホテル、デパートなどを詰め込んだ複合施設という要請と、京都駅の高架化を見越して東海道線の線路上に建築ができないという制限があまりにもシビアだったのだ。これでは、誰が建築しても「壁」にならざるを得ないのだ。ところで、現在の京都駅を見ると、ロータリーに面する部分がガラス張りになっており、「壁」であることを感じさせないデザインとなっている。それを可能にしたのが、原広司の設計案であった。
京都駅に活かされた「広場」の考え
原広司は、世界中の集落の研究をしており、その共通項の一つを「広場」とした。どの集落にも、明確な用途の存在しない「広場」が村の中心に存在しているということだ。その「広場」は、外側にある明確な用途を持つ空間(集落でいう「家」)同士を適度に断絶し、適度に結びつける役割を果たしている。それは「家」が密集した一見効率的な状態よりも、実は合理的であるという考え方である。
京都駅を見ると、伊勢丹は西側に、ホテルをはじめとした文化的施設は東側と上層階に、土産物店は地下に「追いやられて」おり、それら全てに、ガラス張りのアトリウム空間が接続している。つまり、広場を取り囲むドーナツを、垂直に立てたかのような動線の計画がされている。これによって、京都駅の施設を利用しない人々(通勤客や四条方面への観光客)にとっての利便性を高めた。彼らは、そのドーナツの真ん中の空洞の部分を通るだけでよいからである。京都駅0番線を使ってみるとその利便性を実感できるだろう。
大階段はなぜ生まれたか
しかし、普通の商業建築では、駅の通路にデパートの出入口が直結しているという場合が多い。客の取り込みもまた重要な要素であり、京都駅は一見するとそれを満たしていない。さらに、伊勢丹を西側に追いやることで、観光客の利便性が高まる一方で、買物客の利便性が損なわれてしまう。東側の文化的施設に対する利便性についても同様である。そこで、一旦端に追いやった施設を、人工地盤に沿ってせり出させることで解決した。伊勢丹については、人工地盤の上にさらに、階段状に店舗を配置した。その天井にあたるのが大階段である。
大階段は現在、様々な用途に使われているが、主な意図として、避難通路の役割と、最上階への客の誘導が挙げられる。後者については、駅ビルのテナントでもある伊勢丹の、一直線状のエスカレーターもその役割を果たしているということが言えるだろう。前者については、法律上少なくとも避難ルートを二つは確保しないといけないのだが、そのうちの一つを大階段の中腹に配置することで、大階段自体を避難通路にしている。
商業建築においては、利益を上げるために延床面積を増やす必要がある。しかし、観光地の玄関という性質上、延床面積を最大限まで高めた直方体のような建築は望まれていない。観光客と、普段の利用客が狭いコンコースにひしめき合ってしまうことになるからだ。それよりも、コンコースを開放的な空間とし、観光客をエスカレーターの上へ、さらに大階段の上へ、上へ上へと誘導することで、人が一定の場所に留まらないような工夫がされているのだ。さらに、大階段があるおかげで、上層階に宝石店や時計屋を入れることが合理的になった。普通のデパートでは低層階に入っていることが多いが、それは人々を上の階へと誘導するための戦略である。京都駅ビルではむしろ、客はまず上の階まで一気に上がり、そこからだんだんと下の階に降りるという流れができている。
こうして、京都駅に、ガラス張りの天井で覆われた巨大なアトリウムと、それらを囲む人工地盤、そして階段状に配置された施設で構成された、「谷」の建築が生まれた。そしてそこには、限られた土地の中で施設を詰め込むにあたり、原広司の知恵が詰まっていた。次回からは、原広司のデザイナーとしての側面に注目して、京都駅に見られる細かなデザインに着目していこう。