日本完乗紀【関西本線】憧れの大阪を目指す

日本完乗紀【関西本線】憧れの大阪を目指す 旅行

高校一年の春、それまで鉄道とは疎遠であった私に、「知らない場所に行きたい」という気持ちが芽生えた。それまでの自分は、学校や塾と家との往復のみで世界が完結していたが、勉強だけしていれば後は何をしていても良い、というような環境であったため、どこかで非日常を望んでいた。

自分の世界が変わることへの期待を鉄道に託した私は、それまで一度も行ったことのない大阪を、青春18きっぷで目指した。また、今後も鉄道を使った旅行を継続していく予感がしたため、これから何度も乗るであろう東海道線は使わずに、関西本線を選択した。

快速みえに乗車し、名古屋の発車を待つ

名古屋から大阪へ行く方法は、現在は何通りもある。東海道新幹線を始め、近鉄大阪線、東海道本線、そして関西本線である。その中で私が選んだ関西本線は、明治や大正において、鉄道で名古屋と大阪が結ばれることへの期待を背負っていたが、今となっては途中に非電化区間を挟むローカル線といった扱いである。地図上では最短距離で名阪を結んでいるにも関わらず、現在はあまり使われていない理由を、自分の目で確かめたい気持ちもあった。

名古屋駅を出発。

しばらくは近鉄との並走が続く

反対側の景色だが、名古屋車両区の横を通過する。近鉄とも並走中

続いて名古屋工場の横を通過。電車、気動車の点検を行っている

庄内川を近鉄とともに渡る

近鉄の伏屋駅周辺の住宅地

快速みえが蟹江駅で運転停車して初めて、この路線が単線であることに気がついた。関西本線は、名古屋市いっぱいは複線であったが、名古屋を出ると都市間輸送を諦めて単線に変わる。

蟹江駅運転停車。名古屋市を出て最初の駅である

ここから列車は木曽三川を渡る。その頃には複線が復活している。三重県の桑名もすでに近い。

木曽川を渡る。手前は近鉄で、奥は国道1号線。

桑名を出ると、三岐鉄道からの貨物が来ている富田駅まで複線が続く。都市間の旅客輸送は主導権を近鉄に渡しても、四日市との間の貨物輸送は健在であった。

富田駅にて、DD51

関西本線DD51は、山陰迂回貨物でも活躍した

快速みえは、四日市駅、正確には河原田駅の手前で伊勢鉄道に入る。この区間は青春18きっぷが使えないため、車内で精算する必要がある。津や松阪、伊勢といった、三重県南部の各都市に向かうためには、この区間を通る必要がある。それならば、最初から近鉄に乗るのが良い。

このような都市間輸送における近鉄の優位性は、三重県の各主要都市を最短距離で結んでいるだけでなく、四日市市に作った駅である近鉄四日市駅周辺に、比較的大きな市街地が形成されたことが大きな鍵となっていると考えられる。旧東海道に近いルートを通っているのも近鉄の特徴である。

一方で関西本線の四日市駅は、乗降客数の面で見れば近鉄の足元にも及ばないが、貨物の拠点となっている。その意味では、近鉄と国鉄で旅客と貨物の棲み分けができているのだろう。

後日(2019年3月)関西本線を再訪した際の写真。

当時高校生であった私は、なぜか伊勢鉄道にお金を払ってまで、津を経由して亀山に行っていたようだ。名古屋から亀山へは、1時間に一本快速が出ており、そこで柘植、加茂方面への接続があるため、比較的楽に関西本線を乗り通すことができる。

亀山駅に到着した。長大な紀勢本線の始発駅でもある

亀山駅跨線橋

駅前に出てみる

亀山駅前

名古屋、四日市からはここまで電化が続いている

一方、紀勢本線は新宮駅まで非電化が続く。

加茂行きが入線してきた。乗車率は比較的高く、席が埋まるほどである。

亀山から柘植にかけては、「加太(かぶと)越え」として知られる難所を通過する。それでも、鈴鹿山脈と布引山地の間の比較的高低差の小さい場所を通過するため、長大トンネルも無ければ、スイッチバックも存在しない。

キハ40が控える亀山鉄道部。

亀山を出ると、関、加太、柘植(つげ)と停車していく。関は東海道の宿場町であり、大和街道の分岐点である。東海道は、鈴鹿峠を越えて京都を目指す一方、大和街道は加太越えをして奈良を目指す。

加太駅に到着。奥には桜が見え、春の訪れを感じる

関西本線の加太越えは、25‰の急勾配。

柘植駅に到着すると、113系の姿があった。草津線は1980年に電化され、現在は琵琶湖沿いへの通勤客にとってのベッドタウンが、柘植駅の一つ先、油日駅まで伸びてきている。しかし、柘植駅はかつての幹線の面影を留めて、古い駅舎を見ることができる。

柘植駅を出ると伊賀盆地に入っていく。ここには数百万年前は現在の琵琶湖にあたる湖が存在したが、東西方向の断層に沿って隆起し、湖は滋賀県側へと移った。数十万年前には鈴鹿山脈を中心に滋賀県側が隆起したことで、再び周囲に比べて低くなったため、盆地が形成された。断層は地球にとっては単なる「シワ」でしかないが、我々人間にとっては、断層の向こうはもはや別世界だ。

佐那具駅の桜。奥の山は断層による地形で、あまり高くはない

柘植川沿いの桜。なだらかな地形だ

柘植川は木津川と合流し、奈良盆地を目指す

木津川では西日本に典型的な白い石が多く見られる。

加茂駅到着前の車内の様子

加茂駅からは再び電化区間に入り、クロスシートで快適に大阪に向かうことができる。

加茂駅から大和路快速に乗車

先程まで乗ってきた車両。大阪で「よく見る行き先」ではこのような光景を見られる

アーバンネットワークの一員として、「大和路線」という愛称で呼ばれる。

亀山から加茂までの非電化区間は、「難所」というより、小さな町を結んでなだらかな地形の中を走るのどかな路線であった。区間のほとんどは川によって侵食が進み、鉄道が明治時代の早い段階で開通するのも納得がいった。

一方で、早期に開通した路線には、コストを抑えて建設するために、高低差の小さい場所を選んでルートをとっているという特徴がある。結果として、亀山から加茂までの区間はカーブが多くなり、それ以降に開通した路線に比べて速度上昇が見込めなくなった。

しかし、名古屋から大阪を結ぶ路線の中には、急ぐ路線ばかりでなく、のんびりと向かう路線があっても良い。関西本線はトンネルも必要最小限に抑えられているため、景色も楽しみやすい。本質的な意味で自然と調和した路線である、というのは言いすぎであろうか。

奈良盆地東縁の山並みを背景に、桜が満開だ

王寺駅が見えてきた

当時は103系が健在だった。関西に憧れた理由の一つでもある

王寺駅(後日撮影、2019年12月)

大和川(後日撮影)

木津川は奈良盆地に出ると北上し、宇治川に合流する。一方、断層を隔てて奈良市よりも南側の川は大和川に集まり、奈良盆地から大阪南部へと流れ出す。かつては伊賀盆地のように、奈良盆地にも湖が存在し、現在の大和川と同様に大阪湾に注いでいたようだ。

少し場所が違うだけで、少し異なる選択をしただけで、その後の行き先は大きく変わってくる。それは私たち人間だけではなく、全てのものに当てはまる。そうであれば、無理に変わろうとする必要はないのかもしれないと、高校生の私は思った。

子どもの頃からずっと憧れていた、非日常の世界だって、こうして数時間鉄道に揺られているだけでも、案外簡単にたどり着ける。そう自らに言い聞かせるように、私は大阪駅のホームに第一歩を踏み出した。

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