一週間西日本紀行【6日目】山陽路を東へ

一週間西日本紀行【6日目】山陽路を東へ 2019/09 一週間西日本紀行

 防府の快活クラブを出たのは10時頃だった。もし7時頃に起きることができていれば、岩国に立ち寄って錦帯橋を観光していたところだったが、これでは本日の目的地である京都への鉄道に乗るだけとなってしまう。とは言え、途中で岡山から津山へと寄り道をし、姫新線経由で行くくらいの時間はあった。

 

防府駅北口

 

徳山駅。やはり蔦屋書店とスタバはセットになっている

 

 

 徳山駅では接続に時間があったため、ここで天ぷらそばを食べることにした。駅前に出ると、蔦屋書店があった。この旅に出るまでは、蔦屋書店は代官山だとか、限られた場所にしかないのだと思っていた。

 

こちらは島田(しま「た」)。また、「磐田」ではなく「岩田」である。

 

 広島地区は、完全に新型車両227系に置き換わっていた。2015年に研修旅行で訪れた際は、227系を見ることはできたが、乗った列車はすべて113系をはじめとした国鉄型車両であった。岩国駅では糸崎行に乗ることとなり、広島県を一気に移動する列車ではあったが、227系の転換クロスシートで快適に移動することができた。

 

 

宮島口駅。

 

山陽らしい景色である。

 

「セノハチ」越えの様子。

 

糸崎での対面乗り換えで、113系相生行へと移った。國鐵廣島はすでに死語となっていることがよくわかる。このまま山陽本線で神戸と経由して京都に行っても良かったのだが、倉敷以東は2015年にサンライズ出雲で乗車して以来何度も乗った区間であるため、今回は津山線、姫新線を経由することにした。全国乗りつぶしにあたって、中国地方は難関である。まずは本数が少ない。島根県の宍道と、備後落合を結ぶ木次線に代表される。さらに、運転見合わせ区間が発生しやすい。平成30年の西日本豪雨によって、芸備線で不通区間が生じている。また、廃止されたばかりの三江線も、もし廃止されていなかったとしたら不通区間が多数生じていたと考えられる。そして、2日前に延岡で私が大雨に降られたときに、姫新線と伯備線の重要な乗り換え駅である新見駅が豪雨により冠水したとのことだった。そのため、姫新線の中国勝山以西の運転見合わせが続いていた。これもあって、今回姫新線の津山~姫路というごく一部の区間だけ乗車することになった。津山以西は、次回の乗りつぶしに期待したい。

 

高梁川を渡ると、倉敷に入る。ここから岡山まで、車内は混雑する

 

亀甲駅。駅舎は亀がモチーフになっているが、撮り損ねてしまった

 

 姫新線の車内は、地元の高校生で満員状態だった。9月はすでに就職の準備をする期間であるようで、就職に関する会話が聞こえてきた。彼らは、「自己PR」に何を書くか迷っているようである。すると、ある一人が「それっぽく書けばいいんだよ」と言った。こうして彼らは、大人の世界へと一歩踏み出していく。

 

津山駅で姫新線に乗り換え

 

ここは鉄道よりもバスがメインなようである。

 

 何回か乗り継ぎ、先ほど就職に関する会話を盛んにしていた高校生の姿も見えなくなっていた。そして、その代わりに車内は別の高校の学生で占められるようになった。「姫新線」という長大路線は、決して互いに交わることもない複数の高校生活に欠かせない存在となっている。それはさながら、高校において流れる時間を早回しで見ているかのような感覚だ。卒業してしまえば、それまで自分たちを定義していた高校生活から完全に切り離されてしまう。代わりに、その後に入学してくる人たちによる、全く異なる高校生活が今後も繰り広げられていくのだろう。

 

 いや、それは私も同じだ。いずれ別の乗りつぶしの旅で、再び姫新線の同じ区間に乗る機会があるかもしれない。しかし、そのときには、今回車内にいた高校生たちはそれぞれの人生を歩んでいて、もしかすると都会に出てしまっているかもしれない。そのころには別の高校生が車内には居て、ちょうど9月に行けば就職活動の会話が繰り広げられる、似たような光景に出会えるだろう。それでも私は、彼らの先輩にあたる人たちを知ってしまっているから、大人になった彼らに思いを馳せることになるのだろう。

 

 私は観測者にすぎない。ともすれば、「不審者」に近い存在であろう。しかし、鉄道という公共空間は、地元の高校生で占められたきわめてプライベートに近い空間であったとしても、私を一人の「乗客」として定義するのだ。しかし、「乗客」として定義された私は、列車から降りた瞬間に死ぬ。次に乗車するときにはまた、別の「乗客」として定義されて、生まれ変わる。それほどまでに、乗り鉄というものは、私にとって大きな存在になっていた。東京では誰かを気にかける生き方が最適とは言えないから、私もそれに甘えて他人を気にする余裕が無くなっていく。しかし、それでも、そんな私でも、誰かを気にかけていたいのだ。様々な人の人生を、垣間見でもいいからしたいのである。

 

 乗り鉄していると、自然と地元の高校生がぞろぞろと乗ってくるという光景に出くわす。それを私は羨ましさも内包した、しみじみとした感情で受け入れる。どんなに願っても、高校生の自分には戻ることはできない。しかし、こうすることで、自分の中ですでに死んでいる、高校生の自分を供養しているような気持ちになる。これは高校生の頃に乗り鉄していたときに親近感をもって地元の高校生を受け入れた感情とは異なるものであった。高校時代が黒歴史だった私にとっては、なるべく東京では今の高校生から視線を外すようにして、視界から無意識のうちに消している。しかし、乗り鉄する上では避けて通れない。過去を受け入れないと、先に進めないのだ。

 

姫新線ホームからも、姫路城を眺めることができる。

 

 姫路に着いた。ここからは新快速に乗って京都駅へ向かうだけである。大阪駅からは帰宅ラッシュである。それを転換クロスシートから眺めていた。

 

新大阪。環状線から国鉄型車両が撤退した代わりに、こちらに201系が入ってきた

 

 京都駅の大階段の脇に、ラーメン街がある。そこで私は札幌の味噌ラーメンを食べた。この夏の旅を振り返るにふさわしい食事であった。8月は一週間北日本紀行、そして9月は一週間西日本紀行である。もはや日本中どこへでも行ける気がした。

 

京都駅アトリウム

 

 食べ終わってコンコースに戻ってくると、嵯峨野線が丁度行ってしまったところだ。そこで、地下鉄と阪急を乗り継いで西院に行ったほうがよいと判断し、シャッターがすでに下りていた地下街を早歩きで通り抜け、200円の切符を買った。四条烏丸での乗り換え後、阪急の接近メロディに懐かしさを覚えながら、西院の快活クラブで眠りについた。

 

味噌ラーメン。半年ぶりに食べたが懐かしい味だった

 

京都駅から望む京都タワー。出張客や観光客が記念に撮っていく

 

京都市営地下鉄四条駅から阪急烏丸駅への乗り換えは5分ほどかかった
一週間西日本紀行【7日目】早朝の京都観光
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